「自然な心」藤村 敏

 毎日、限定された量の文章を読むので、新たな発見があった。

実家にある額に「誠の句」とある(第13回)。

誠は、一切が真実でうそ・偽りのないことを言う。


熱誠、誠太郎(個人に一生ついてまわる名)まで出てくる。

明治という時代の家制度、国民がこぞって賛成した日露戦争が背景にある。

人を傷つけず無用の争いを避け、日々の心の平穏を得る生活態度こそが人の道ではないか。


つまり、誠を犠牲にしても『人』として生きたかった。

しかし、平岡に結婚を譲った三千代との再会は転機となった。


社会や人との距離をとることは誠から遠ざかる結果になる。

自分らしく生きたいとは、三千代と共に生きたいということで、自然な心のままで動くことで

かえって自分が充実することを知った。

身近にいるからこその軋轢なら、父親などの家族とも社会と闘わねばならない。


人の道という円の中心にいる自分に三千代を重ねることで社会をみるようになった。

自分だけの決心ではどういもならないが三千代も同じ道を歩むと決心してくれた。


同じ円にいる二人には距離がない故の安心感がある。

人の道が誠の道に到達することを確信した瞬間だった。


二つの道が同心円になった。

結局、「それから」に通底するテーマは、自己にとっての誠をいかに実現するか、にある。

たとえ、敗北する結果になっても。

                  以上



※上記の文章は、新聞連載の夏目漱石の「それから」をもとに書いています。

 社会の中で自分の生き方を考えた場合に、最近は『誠』という一文字にこだわっています。

 本当にこれでいいのだろうか。

 戦争法案と何の関係があるのかとの指摘もあろうかと思います。

 現在を自分が忠実に生きることによって生まれるものもあるのでは、という思いが根底にあります。