2015.4.6
『丁寧な説明責任を』 藤村 敏
本当にこのままでいいのだろうか。
安倍首相は『日教組』とやじり、民法番組での反論までする以上、
《表現の自由》と判断しているようだ。
あまりにも情けない。
権力者である強者が表現の自由を全面に出して威圧する意味を
問わねばならない。歴史的には、力関係のバランスをとるために認められたこの権利は、
弱者にこそある。反論する前に充分な判断材料を提供することが強者の義務であろう。
4日の沖縄での住宅地返還にしても、枯れ葉剤などの化学物質を埋設したままである。
使用者である米軍が原状回復義務を果たさない理由を説明すべきではないか。
基地建設にあたり『環境アセス』が前提であるのに、オスプレイの配備を隠し、
ジュゴンを追出したおそれのある情報は開示していない。
地域住民の怒りも当然である。
戦争になれば、真っ先に軍事基地がある沖縄が攻撃対象になる。
集団的自衛権という手段で、戦争ができる根拠を根幹となる憲法の条文で
是非明示してほしい。
どの条文のどの箇所をどう読み込むべきか。
口先ではなく国民に丁寧に説明する義務があると思う。
明治憲法下では戦争ができた。
侵略戦争をしたということになれば、その反省はどこへいったのか。
現憲法でも戦争ができるということになれば、その反省はどこへいったのか。
日本では月日が経過すると既成事実化してしまう。
今こそ沖縄の声に呼応して『辺野古を埋め立てるな』と叫ぼう。
以上